6月3日(金)から6日(月)まで今年の自由訪問事業の第1陣として歯舞群島志発島へ行ってきました。
私は元島民2世の配偶者としての参加です。元島民の高齢化等を考慮し対象者枠が拡大になり今は3世とその配偶者までが島へ行く事が出来ます。私は妻と二人で高齢のため訪問を断念するようになった義母の代わりの訪問です。最近はご家族や兄弟姉妹で一緒に参加された方々も多い様です。
今回は団員32名、医師、看護師、通訳、政府関係者等同行者11名計43名の訪問団です。
昨年までは、水晶島沖で入域の手続きをしていたそうですが、今年は、国後島古釜布まで行き、入域・出域の手続きが必要になりました。根室港から古釜布まで4時間30分その分が行程的にキツなりました。
志発島には、ロサルゴサ号が接岸できる場所がありませんので、ロサルゴサU号、更には、10人位が乗れるロサルゴサV号に乗り継き、安全な砂地から上陸します。
6月4日の一日目は、志発島西浦泊浜に上陸。ここには神社やお寺そして小学校があったそうです。上陸地点は、ロシア警備隊の基地のすぐそばで、ロシア兵が数名我々を監視する待機していました。最初に上陸したメンバーが仮設トイレを設置したり大きなブルーシートを敷き荷物置き場確保したりしているうちに全員が無事上陸。
最初に西浦浜墓地跡地へ向かい墓標の前に祭壇を設け、参加し全員でふるさと志発島に眠る御霊に哀悼の祈りを捧げました。
その後、2班に分かれ元居住地後を視察しました。
私達の班は、ロサルゴサV号で少し東側の集落跡地へ移動し周辺を散策。海岸線は浸食が進み、また、3月11日の東日本大震災による津波の影響もあったようで、波によって打ち上げられたと思われる小石が何段かの層になっていました。
足場の悪い小石が敷き詰められた海岸を数メートルほど登ると草地が広がり、奥にはこの島で一番多きな沼が見えました。まっ平らな島です。見渡せる範囲には木が一本もありません。
6月初旬でまだ枯れ草が多く緑は少なく、草の背丈も低かったので大きな沼の水辺まで歩くことができました。途中、至る所に馬ふんがころがっていましたが馬はどこにもいませんでした。
沼へ向かう途中、錆びついたヨウド釜やコンクリートの塊があり、微かにですが66年前の生活の様子を感じました。
枯れ草の中に鮮やかな水仙の花を見つけました。志発島では家の前に水仙を植えていたそうです。結団式の時にいただいた地図をみながらこの水仙の花の付近に住んでいた方を確認。地図には、道路も描かれていますが、はっきりと道路の場所を特定することはできませんでした。
その後、海岸に戻り昼食をとりました。船の中で配布されたパンとカロリーメイトそして朝食の残りで女性団員がにぎったおにぎり。やっぱりおにぎりが一番でした。
昼食の後、少し時間がありましたので、妻と二人でトマリ岬側に向かい海岸線を歩きました。
志発島は山のないへいたんな島ですがその分海岸線がどこまでも見える素晴らしいロケーションが広がります。二人で歩いた方向には勇留島の島影も見えました。今は、何もない島ですが綺麗な所です。妻は、波に洗われ角が取れた綺麗な色丹石やガラスなどを集めながら「島が戻り自由に行き来できるようになったら、皆で、別荘を建てたい」と言いました。66年間全く手が掛けられていない志発島を含め歯舞群島の島々には様々な可能性があること感じたところです。
波が少し高くなってきましたので、予定の時間を早めこの日の散策は終了しました。